矯正治療の開祖アングル(1855~1930)は非抜歯論者でした。親知らずを含む32本の歯を並べて、ギリシャ彫刻のような顔に仕上げることを理想としていましたが、実際に実現することはできなかったようです。アングルの弟子ツイードは、アングルのいう非抜歯矯正では多くの場合口元の突出した醜い顔になってしまうことに気づき抜歯の基準を提唱しました。それ以降、現在に至るまで延々と論争が続いています。
非抜歯矯正は大変魅力的に響きますが、ざんねんながら大きな欠点があります。自分がどういう口元になりたいのか?何のために矯正するのかを十分に納得してから矯正医を選択することが大切だと思います。
2001年、歯科の専門誌クインテッセンスは「抜歯・非抜歯を検討する」と題した特集を組み、35の論文を掲載しました。その中から、福原先生の論文の一部をご紹介します。
「アングルは1900年に出版した教科書では抜歯は必要であると書いてあった。ところがその3年後に突如、非抜歯論に転向し第7版の教科書には抜歯の項目は完全になくなってしまった。非抜歯に転向してから20数年後、晩年のアングルはエッジワイズ法(現代に至るまで主流の矯正装置)のプロトタイプを発表したが、それはアングルが最も信頼していたツイードらの協力によるものであった。
Angleが没して10年後の1940年、ツイードは非抜歯を守って失敗し抜歯後再治療した100例の模型を展示し、Angle Societyで発表した。Angle夫人は出席を拒否したほどで、講演に対する評価は惨たんたるものであった。しかし、日がたつにつれて自分たちも非抜歯で困っていただけに、すばらしい症例の話題はたちまち伝播していった。 Angle以後の抜歯論のかたちは、こうしてTweedによって確立されつつあった。」
同じく福原先生の論文から、以下は現代の日本の大学病院での話。
「上下顎前突の治療を強く希望した女性成人患者。担当医局員は事前に小臼歯4本の抜歯は避けられないと説明。問題はすでにそこから始まり、抜歯には納得し希望したが、診断は伝統的な非抜歯。一年半ほどの治療で一応叢生は並んだが、間もなく後戻り。苦情を受けた担当医は当初、院内では抜歯治療はできないのでと学外OBへの転医を勧めた。彼女は拒否。やっと院内で抜歯再治療の話は進んだが、臨床結果が率直に検討されないことに不信は募り転医した。
失敗が上司に伝わらないシステムなら後戻りは記録に残らない。経験の少ない若手医員がそれを信じて巣立つのも当然かもしれない。6ヶ月で治るとか、抜歯しない矯正とか、そのように錯覚して著書や新聞・車内などで誇大宣伝する自称専門医が増えるから怖いのだ。引用終わり (矯正Year
Book’01、元昭和大学歯学部教授福原達郎先生の論文から)
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